精神年齢おじさんの手記

大学生にもなって欲が強すぎる男の末路

過ぎ去るもの、別れ、来る日、覚悟、心の持ち方の話

タイトル長めだ〜

ということでりゅすらの話を改めて

こっちのアカウントからしかツイートしてないとこからもみんなこんなことがあってね〜って雰囲気のものを書きたいわけでは無いんだが、いずれ書かなきゃいけんことよなぁと思いながらも思い出そうとすると手が動かなくなるのでめちゃ遅くなってる。書き始めたん1個前の記事と同時なんやけどねぇ〜

人は、過ぎ行くもの。これはりゅすら本人が自分に言い聞かせるように、まじないのように常に言っていた言葉。人は廻る廻らないに関わらず、大きな流れの上にいる、がそれを流れの上からは観測出来ないんですって、

僕にはわからん。そこまで達観した頭もないし、詩的な表現としては理解できるけど世の中は至極化学的で、物理的なものであると考えているから

別れ。

人と人が関わっている限り、どちらかは先に居なくなります。関係性が解消された別れにしてもどちらかに要因があり、どちらかが離れていきます。(心なり物理的距離なり)仕方の無いことだと思っています

来る日。覚悟。

何回来たかわからん、まじで。何回死にかけて何回耐えてきてその度に僕が比喩的に死んでいました。病院で72時間目が覚めなかったり、外出先で薬を忘れて倒れたり、吸入器を忘れて倒れたり、無限に心配はしていたし、その常本気で覚悟はしていた、とは思うんだけど実際のその日は覚悟なんて比にならないようなものでした。いつも通りふらっと帰ってこれる、またどうせ腕をぐるぐる回しながら寝てる、そんな訳はなかった。ベッドで横たわってるりゅすら、寝てるみたいに横になるりゅすら、次会いに来たら保冷されてキン冷えだったりゅすら。頭ではもう居ないと分かっていても形があり、思い出がある限り居ない、と決めつけることは出来ませんでした。

心の持ち方

心がもっていたとは思ってないんですよね〜これが。クソ病んだしなーんも手につかないし、でも日々は流れていくし、周りの人間からりゅーすらという人が生きていたという事実は消えていく。これマジで最後のやつがいっっちばん耐えられなかった。一緒に生きて来た人間を過去のもの、過去の人になる。思い出として昇華させられるということが本当に辛かった。

今思いかえせばかと言って過去にしなければ何?今は居ないが?って言えるんだけどね

ひかるくんも自殺(?)しちゃうしかけるくんは国外にひかるくんを探しに行っちゃうし、まばしもいないし、みんな死んでしまった……ほんとに創作以外で使いたくなさすぎる日本語なんだけど、まぁじじいになったら使ってやるよ位の心持ちだったのに本当に誰も居なくなってしまった、残されたの俺と妹すらだけ

って時はクソ病んでました、まじでなんで1番いらないはずの僕がこんなに無駄に生きながらえてるんだって無力感に襲われてました。

本当にこばめあヤス傷辺りの人。ブロッケンさん、青六さんたち米組のみんな。無限にTLに推しを放流してたフォロワー各位。

まじで生きる希望だった。ありがとな!(今日死ぬ人?)

書きてぇこと連ねてたらくそ長読みにく文章になってしまった明日は水曜日!!!